伝承−コミュニケーションの基本用語

私たちは、他者から受け継いだ言葉で、あるいは他者の言葉を引用することで、はじめてあらゆることを語れるようになる。

外の他人には知られることのない「自分」についてもしかり、自分の外に広がる「現実」についてもしかり。

私たちは「私」「私たち」といったことさえも、他者の言葉、他者から受け継いだ言葉、あるいは借りものの言葉で、語りうる対象になる。


言葉は人から人へ、世代から世代へ、受け継がれ、伝承されていく。


個々の「私」が行うコミュニケーションについても、その出発点、はじまりに居るのは「私」ではない。

個々のコミュニケーションに先立つのは、連綿と続く他者たちの言葉である。祖先の言葉である。


『二十世紀精神病理学背景史』の渡辺哲夫氏は、こうした祖先たちの言葉、死者の声を「伝承」と呼ぶ。


私たちが他者の言葉のざわめきの中に産まれるということ、生まれると同時に記憶に刻み込まれていく他者の言葉=伝承を受け継ぐによって、わたしたちは初めて世界を意味あるものとして事分けて行けるようになると、渡辺氏はいう。


メディアは、この伝承の伝わり方を左右する。

声の文化、文字を書く文化、印刷物の登場から、同一の情報の大量生産、一方通行の伝送を可能にするマス・メディア

そして電子メディア。これらのメディアの歴史を、伝承の諸形態の変遷と重畳、という観点から、整理しうるだろう。


例えば、ジュリアン・ジェインズ の興味深い議論も、声の文化における伝承のあり方を捉えたものと、読むこともできる。声の世界では言葉は、外化しうるもののように扱われるのではなく、ひとりひとりが理解できる誰かの声として頭のなかに鳴り響いていた、といった指摘である。


また、渡辺氏が二十世紀の精神病理学の「背景」として採り上げる事柄が、他でもなく、二十世紀に至り、伝承の伝わり方に生じた変化である。同一の言葉を大量に、一方通行で送り届ける二十世紀前半以来のメディアは、人が自分の言葉を死者を含む他者とのあいだで、時間をかけてある種の対話的な過程を経て編み出してゆくという経験を吹き飛ばしてしまう。


瞬間瞬間に飛び込むキーワードを追いかけるだけで精一杯、そのキーワードを意味づける、言い換えるための言葉もまた、別の瞬間のキーワードでしかないという状況。


繰り返し同じことを語りつつ、その語りを螺旋的にずらしてゆく他者や死者の伝承のやり方は、マス・メディアの「言い換え」、言葉のつなぎ方とは、一風違うのだ。


人が、祖先の声を聞く耳を養いうる伝承の空間は、聞く耳を持たず気まぐれに言い換を重ねるざわめきでいっぱいになってしまった。


渡辺氏は、ナチズムの一時的な勝利といった事態もまた、マス・メディアに死者の声の代替品を求めた大衆の騒乱だったのではないか、といった指摘する。

  

他者の声を、20世紀以後の世界を生きる私たちが再び他者の声がひびく空間を取戻すための鍵は、「耳」を養うことにある。

一方通行で流れてきた大量生産された情報を吸い取るゴールとしての耳ではなく。

声にならない声、よく聞き取れないものの無視できない祖先の声のような声。そういう「異言」を聞く耳である。