レヴィ=ストロースの神話理論がひらくメディア論の試み ーコミュニケーションの基本用語

レヴィ=ストロースの「神話」の理論は、私たちにとっての「意味」、即ち言葉の言い換えの体系と、それを支える「伝承」と呼びうる言説の、生産と流通と再生産のシステムを問う手がかりになる。


言説を「神話」という、二項対立の網の目の運動が螺旋状に展開すること、として捉えられるのであれば、言説の波頭のようなものである私たち個々人や社会もまた、神話の弁証法的プロセスとして理解しうる。


以前、この「螺旋状の展開を、個々人が引き受けつつ、それでいて、展開を経て再び日常社会に戻ってこられるような仕掛け」をメディアに施すことが、いかに重要であるかと論じたが、その意味するところを、マス・メディアという観点から考えてみよう。


大量生産された同一のメッセージを一方通行的にばらまく、マス・メディアもまた、この螺旋上の運動を展開させている。


しかし、そこでは、いわば「大きな螺旋がひとつ回っている」という状況がある

マス・メディア「以前」を想像すれば、例えば声というメディアや手書き文字のメディアであれば、「小さないくつもの螺旋が回り、互いにぶつかり合い、打ち消し合ったり、吸収されたりする」という状況もありえたはずだ。


近代型の言説はこの、単一の大きな螺旋の運動の、直接の産物だ。

あるべき区別・よき区別と、そうでない区別との「区別」が「どこかで予め区別されている」という事態。あるべき区別を守ることが以前に比べて容易になった世界。 

マス・メディア的ではないメデイアをもった世界では、あるべき区別を守ることは大変な苦労だったろう。つどぶつかり合う、小さな複数の螺旋状の運動のせめぎあいの中で、自らの信ずるある区別を守り、他者にもそれを採用するよう説得すること、説得の過程で誤って、相手方の区別に説得されないようにすること。

 

区別を守ることは、祖先の声を守ることでもある。

祖先の声の永続性への信頼こそは、個々人の魂の永続性という信念を支える鍵である。その点では人は、よき区別を、つまり自分が祖先から受け継いだ、良き区別を、叶う限り守りたいと考える傾向を持つのかもしれない。

 

しかし、特定の区別を守ろうとすることは、神話の弁証法の螺旋的循環を止めようとするよう働く(実際には止められないのだが)。それは媒介者の登場と、その既存の区別をずらし、ゆるがそうとする働きに眉をひそめる。無秩序な役割転換と価値の入れ替えを拒否し、媒介者を排除する。

 

もし私たちの社会が、安易な「言い換え」を拒絶する力を、生の全領域で、全面的に展開する性向を持つとすれば。

そのひとつの要因は、私たちの社会が次のようなメディアの働きを失ってしまっていることにあるだろう。

即ち、個々人が自らの言葉に、小さな媒介者を呼び込み、奇妙な言い換えを行いつつ、再びそれを排除して社会の中に帰ってくる、という運動を可能にする言葉づかいを支えるメディア。


安易な言い換えを全面的に許容する社会というのも考えにくい。

必要なのは、好き勝手な言い換えのランダムな展開ではなく、「神話の弁証法」の運動を、一年のうちの数日でも、許すようなメディアであり、社会である。


このアイディアのヒントを得たのは以下の文献である。